2011年03月14日

報告

昨日の午後、母からメールがきました。
ずっと圏外だったけど、電波が入って、それから電気も復旧したようです。
夜には、少し電話で話すことができました。



私の実家では地震が起きたとき、
接骨院の先生がちょうど祖母のところに来てマッサージをしていて、
叔母もいたので、
祖母はそこまで混乱を来たさなかったようです。

母と父がその後すぐ帰ってきて、備えてあったものを出して、
停電下での生活を送ったようです。

我が家は奇跡的に無傷に近くて、
損害といったら、
古い家の食器棚から食器が全部で割れたこと、
古い家の壁がはがれたこと、
ぐらいで、あとは新しい家の各部屋で棚のものが飛び出したくらいだそうです。

父が耐震対策で棚の観音扉開かないようにとか、
タンスの固定とか、色々やってくれていたのが良かったんだと思います。

電気ガスはすぐとまったけど、水道は無事。

地震用にと、石油ストーブも数年前に新しいのを買っており、
偶然前日に灯油を沢山買っていたばかり。

食料も備蓄あり。

ラジオも2つあり。
しかも活躍してたのは私が小学校のときに授業でつくったラジオだったっていう・・・

昨年までは単身赴任してた父が、今年は退職して仙台にいる。




本当にうちでは、いろんなことがラッキーすぎました。

母と父が旅行に行くのが1日ズレてたらアウトでした。

地震時は帰宅途中で、家まであと5分のところだった。
岩手で寄り道してたら帰ってこれなかったかもしれない。

母と父が帰ってくる前に、叔母が仙台を離れることもあったかもしれないのに、その日はまだ叔母がいた。

ストーブあった、灯油あった、食料あった。

水とまらなかった。

家こわれなかった。海ちかくなかった。

父がいる。




停電で情報も入ってこないので、
祖母は皆に囲まれて安心していた様子だったとのことです。

もう90歳なのに・・・。さすが、もってるなぁ。




昨日から通電して、テレビで被害の大きさに驚いているようです。





今回の地震では、宮城だけでも、
全域停電したし、津波で人さらわれすぎだし、町なくなるし、
気仙沼燃えたし、石油コンビナート燃えるし、
もうほんと・・・目を疑いたくなるような被害が出ています。

それが岩手、福島、茨城、千葉、その他関東各地でおこっています。

計画停電なんて手段も初めて聞きました。
しかも、東京電力の管轄なんて被災してない地域もかなりあるだろうに。
そこまでしないとやはり、どうにもならないレベルなんだということを実感です。

まだ安否が確認できていない知人、友人もいます。

無事でも、電気もなくて一人で心細くすごしている友人もいます。

心配だけど、ここからじゃ、エールを贈るのが精一杯です。





だけど、これだけの災害になっても崩壊しない医療、
次々に復活を遂げていく街のシステムには本当にびっくりします。

地震が起きてすぐから、沢山、ほんとうに沢山のエキスパートの皆さんが、
被災地に駆けつけていきました。

心から感謝します。

みんなの力はすごいです。

私も、この被災に対していつ、何ができるのか、
よく考えて、動けるときにすぐ行動できるように準備をすすめたいと思います。










drecom_shuko at 10:38│Comments(0)TrackBack(0)

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